Shinzo Koizumi's words

小泉信三と體育會

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慶應義塾體育會は1892年(明治25年)、水泳部水球部門は1915年に創設されました。慶應義塾における体育教育は、創設時から福澤が重要視していたもので、「先ず獣身を成して而して後に人心を養う」という言葉にも現れています。

慶應義塾は目的として、「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言うのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり。」を挙げ、日本スポーツの先導的役割を持つとともに、「文武両道」の優秀な人材を多く輩出してきました。

小泉信三は、慶應義塾體育會を語るに欠かせない人物です。父を6歳で亡くし、福澤邸で育った小泉信三は普通部に入学後、テニスに出会うと、猛練習の末、当時のテニス界の覇者であった一橋大学相手に、慶應義塾が勝利するという快挙を成し遂げます。スポーツから学びを見出した彼は、慶應義塾大学を卒業後、教授・塾長を経て、慶應義塾體育會の精神の礎を築きました。

小泉信三

義塾に留まらず有名な「練習ハ不可能ヲ可能ニス」、「スポーツが与える3つの宝」という言葉に見られるように、スポーツマン、スポーツ観戦での態度、マナーにまでもスポーツマンシップを求め、慶應義塾体育会の精神の礎を作った人物でした。

このページでは、小泉信三が残した、現在の體育會の精神の礎となる言葉を掲載します。

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小泉信三と體育會について

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